五代友厚の経歴や名言、功績や子孫は?広岡朝子との交流

朝ドラでディーンフジオカさんが演じた五代友厚が歴史ヒストリアでも特集され、大河ドラマにもちょくちょく出てきます。ドラマでは「五代ロス」を巻き起こすほどの人気ぶりでしたが、いったい何をした人だったのでしょうか。彼の功績や経歴に迫ってみます。子孫は要るのでしょうか。

五代友厚の経歴・功績

五代さんは、明治初期に日本の近代化を促した実業家で、西の五代、東の渋沢栄一といわれます。

生存 1836-1885年 没49歳(江戸時代末期~明治中期)
出身藩 薩摩
父 五代秀尭
妻 豊子

簡単にまとめて行きましょう。

  • 記録奉行・琉球交易係である五代直左衛門秀尭を父とする次男坊

中の下の武家次男坊として生まれ、質実剛健、文武両道の教育を受けるわけです。

  • 14歳の時、世界地図を初めて見て模写する

これに衝撃を受けたのでしょう、指示されたものとは別でもう一枚模写して自分の部屋に貼ります。

  • ペリー来航後、開国論者になり、航海術を学ぶ
  • 26歳の時、上海に渡航し、藩の汽船購入の契約をする
  • 1863年の薩英戦争ではイギリス海軍の捕虜になってしまう

その後、どうにか脱出して、実業家としての道を歩み始めます。28歳くらいの頃のことで,
藩士ですので県の職員として働いている感じです。ベルギーの伯爵と貿易商社を設立しようとしますが失敗します。

  • 29歳の時、藩の御小納戸奉公格に昇進(商務部会計係のようなもの)

藩の商いを一手に握るポジションになったことで、飛躍し始めます。

  • グラバーと合弁でドックの設立

その後討幕活動に西郷隆盛や大久保利通とともに活躍したということで、新政府に職を得て、次々と実績を残します。

  • 与職外国事務掛、外国官権判事、大阪府権判事などを兼任して大阪へ

  • 大阪造幣局を誘致

  • 初代大阪税関長となる
  • 英和辞典を刊行
  • 金銀分析所を設立
  • 大阪株式取引所(現・大阪証券取引所)設立
  • 大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)設立
  • 大阪商業講習所(現・大阪市立大学)設立

という感じで、近代に必要なものを次々と作っていった方なんですね!
49歳で糖尿病で亡くなったようです。

五代友厚の名言

そんな近代大阪を気づいた五代さん、数々の名言を残されています。
死んでも五代の築いた大阪は残る

  • いや、ほんとその通りです。

  • 勝たなあかんで。負けの人生は惨めや。負けたらあかん、他人やない自分にや
  • 仕事は命がけや。死んでも仕事は残る… そういう仕事をせなあかん
  • 自分が嫌ってしまえば、相手もまた自分を嫌ってしまう。ゆえに、気のすすまない相手とも積極的に交際をすること
  • 愚説愚論だろうと最後まで聞いてあげること
  • 地位か名誉か金か、いや、大切なのは目的だ
  • 五代友厚の子孫

    五代友厚は2男4女に目部まれ、実業家や大学教授にとついだり、孫はサッカー選手になったりしています。次女の五代アイは治田鉱山の採掘を進めました。

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