過疎はどうしてできたのか

戦後の入植で山村に人がやってきた

戦後混乱する日本で、食料増産、復員軍人、引揚者、戦災者の就業先確保のため、
国策として開拓事業が行われました。ここで、山村に入植者たちが
やってきて開墾します。多くの人が農林業をしようとした時代です。

しかし、農村として実績のないところにいきなりやってきて、
生活の糧を作れるほど簡単な話ではなく、多くの山村が過疎と呼ばれる
現象に直面することになります。

農地については土壌や気候など、開拓上の困難がありますが、
林地については、社会的な要因として衰退を押したものがあります。

燃料革命で里山の価値が下落

燃料革命は、一次、人類が火を発見し、利用するようになったこと、
二次、蒸気と化石燃料を使用することになったこと、
三次、石油や電気を組み合わせて利用するようになったことを言います。

鉄の歴史は、伐採の歴史とも言われます。
イギリスでは、製鉄業は薪炭を求めて移動していましたが、16世紀にはすでに
燃料不足となり、次なる燃料を必死で探して石炭の時代が来たようです。

日本では、石炭の時代は明治から第二次大戦ごろまでのようです。
その後、1950年代から、家庭用燃料も薪炭から化石燃料にとってかわられるようになり、
薪炭生産を衰退させることになりました。

薪炭、つまり薪(木材を乾燥されたもの)や、炭(硬質の広葉樹を焼いて軽量化したもの)
平安時代には年貢としても収められるなど、古くから山村の大きな収入源でした。

それが急に石油が現れたことにより、売れなくなったのです。

林野庁の資料によると、昭和35年の後一気に下がっていますね。
平成に入ってからBBQや飲食業界からの需要で再び使用量は増えているのに
時すでに遅し、薪炭業は衰退してしまっているので、供給は中国からの輸入です。
さらに、戦時中に軍需で伐採された山林にチャンスを見出した人々は
成長の早い針葉樹である杉を大量に植えましたが、
木材の輸入が自由化されると、安価な外材に押されて、林業も衰退することになります。
これが現在のスギ花粉症や林業問題につながっています。

かくして、山村の経済基盤は破壊されました。
一方、同時期に別の国策として、第一次全国総合開発計画がスタートし、
太平洋ベルト地帯の工業開発への労働力需要が急増します。
この地域に近かった西日本では、家族ごと都市へ移動する、その名も挙家離村という動きが発生しました。

東北では、農閑期に山村を離れる出稼ぎという形で、労働力が山村から都市に流出。
その後は、バブル経済の崩壊や高齢化により、山村の過疎化が今も進行しています。
限界集落、と呼ばれる地域まで発生しています。

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